無題
友達にペットボトルの蓋を開けられない子がいる
ペットボトルを無言で差し出してくるのはもーうかわいくってかわいくって、頼られたことがうれしくて爆速であけちゃう
でも、かわいいねって思うと同時に、ペットボトルを自力で開けられなくてもなんら問題はない環境にいることが羨ましくてこっそり膝をつねったよ
ペットボトルの蓋、つい5分前くらいに開けたけど、そのときも今もわたしはひとりだ
もしわたしが彼女と同じくペットボトルの蓋を開けられなかったら、わたしはジャスミン茶のボトルを握りしめて、乾いた喉を持て余して途方に暮れるしかない
そういうことだ
あえて最後まで説明しない不親切設計なブログだけど、そういうこと、つまりはね
出来ることと出来ないことというのは、その人の能力だけでなく、置かれた環境も表すんだなとあらためて感じて
出来ることの多い人
なんでも出来る人
というのは、もしかしたら、
出来なくてはいけなかった人
しかたなく出来るようになった人
かもしれなくて、だとしたらそれは悲しいし、出来ないことがあるというのは幸せであたたかなものかもしれない
なんでも出来ることは素敵で憧れるけどどこかさみしく、かといって出来ないというのは時に人を不快にさせ、自分を嫌いにさせるし、いい塩梅ってなんなんだろうか
なんでも出来る人をかなしく仰望しながらも愛おしく、なにも出来ない人を妬みされどかわいく愛おしく、思いたいね
きれいごとだけど
理想がきれいじゃなくてなにがきれいなんだって話だよ
理想は博愛
きみを愛すしわたしを愛す
あなたを肯定するしわたしを肯定する
嫌いなあの子も苦手なあの子も許せないあいつも憎いあいつも、世界のどこかで生きて、幸せに、しあわせに、痛みもなにもかも抱いたままでしあわせになれますように
蒙きを啓く(くらきをひらく)ような大層なことできる器じゃないから、ひたすら祈る
捨ててやらないよ、だいじだもん
わたしもこの汚い感情とともにしあわせになりたいです