無題
誰に謝っているのかわからないし誰にゆるしを乞うているのかわからないけれど、いつも「ごめんなさい」「ゆるしてください」と思って生きている
きっと自分がいのちを浪費しているという自覚があるからだと思う
神だか親だかわからないがわたしをここに産み落とした存在があり、限りあるいのちを与えられた以上、有意義ないのちの使い方をする義務がある、とわたしは思っている
にも関わらず今日も天井を見つめてぼんやりと過ごし、なにひとつ身につけず、なにひとつ生み出せず、なにひとつ達成できずに生を浪費した
これはきっとゆるされることではなく、日々罪悪感は募り、それでもわたしはわたしを変えられずに「ごめんなさい」と呟きながらひたすら涙を流している
「どうしてそんなに自己評価が低いのか」と笑われたこともあるし、「プライドが高くて扱いづらい」と疎まれたこともある
どちらも正解だと思う
この二律背反は確かにわたしの人格形成の大きな部分を担っている
事実として、わたしは自己に価値はないと思っているけれど、世間一般的に見て能力値が高いのだろうということもなんとなく自覚している
そのため、自己の価値を認めたいわたしは、存在意義を「己の能力」に見出そうとするけれど、結局どれも自分が自分を大事に思えるほどではなくて、ますますわたしのアイデンティティは揺らぐこととなる
「人並み程度にできること」だけ無駄に多く、「人並み以上にできること」はほとんどない 俗に言う器用貧乏がわたしである
それでも掴みかけた己の存在意義の端っこだけは大事に持っておきたくて、結果、中途半端で貧相なプライドだけを握りしめた卑屈人間のできあがり、ということになる
最悪
ばかみたいだ
持っていたってしょうがないものは手放せないし、手に入れたいものは手に入らない
なにもかもが中途半端でどうしようもなくまぬけで、ひたすらに謝ってゆるしを乞うけれど、だれにも届かず、ゆるされることもない
1ミリたりとも成長できないまま、年月だけを重ねて虚しくなってまた泣いて、だけどなんにもかわらない
世界が残酷なんじゃない
わたしが愚かなのだ