ひとりぼっち
今日のはなしです
放課後居残りで新聞を班で作っていたところ、突然孤独感を感じ(実際わたしだけがその中で異質だった気がするし話にも上手く混ざれなかった、修学旅行に一緒に行って楽しかったはずなのに)不安がウワッと襲ってきて半泣きでなにもできなくなった
いまもばいばいも言えずそっと教室を出て電車に乗っている
こんなことが時々あって、そういうときは無性に人の温もりが恋しくてさみしくて、誰かに抱きついたり誰かと常に話していたくなる
だから数少ないともだちに必死に話しかけたり抱きついたりしてとてもめんどくさがられる(わたしのともだちはさっぱりした、というか塩対応の子がおおいのだ)
こうなってしまったときはじっとおさまるのを待つ、ができればいいのだがぜんぜんできない
とにかく動いたり喋ったりなにかをしないと落ち着かなくなってしまう
なんでかわからないのに泣きそうで、呼吸もあんまり深くできなくて浅くなって、心臓がものすごくどきどきして、身体が熱くて、きもちわるい汗が出る
このブログを始めたのも、文字を打つのは誰にも迷惑をかけない、この謎のぼんやりとした不安の解消方法だから、というのもひとつの理由だったりする
でもひとつ言っておきたいのは、いつものわたしは確かにともだちは少なくて、それをさみしく思うことはあっても、登下校や休み時間をひとりですごすのはわりとすきなほうだということだ
わたしは、誰といっしょにいても、それこそ家族といっしょにいても、数少ないともだちといっしょにいても、なんだか心の奥の奥の最後のほうでずーっとじぶんはひとりぼっちだと感じている
ちょっと前のブログでTwitterのフォロワーがいちばんすきだという話をしたけど、たしかにわたしはフォロワーがだいすきで、すきですきで信頼もしているけど、この孤独感だけはTwitterをしていても拭えなくてずっとある
なんだかよくある小説の主人公が言ってるみたいな話だけど、ほんとうにひとりぼっちを感じるのだ
人間は結局ひとりだ、みたいなことを 初めに言ったのが誰かわからないけど、少なくともわたしはそうなのかもな~ってぼんやりおもう
というのも、ひとりかひとりでないかはひとによるだろう
わたしだって家族や友人やフォロワーを信頼してないわけじゃないし、相談や秘密の話をできる人も数は少ないけどもちろんいる
すきなひとはたくさんいるし、そのたくさんのすきなひとたちに幸せになってほしいってほんとうに心からおもっている
だけど、どうしたって拭えない孤独感を、まったく感じないってことはもうわたしにはむりなのだ
さっきひとによるって言ったのは、この孤独感をまったく感じないひとたちだってもちろんたくさんいるだろう
それはとてもすばらしいことだとおもう
皮肉なんかではなくて、ほんとうに
むかしの同級生に、仲間だとか親友だとか、恥ずかしげもなく言えるひとがいた
クラスのみんなはその子を熱血だとか、ポエマーだとか、イタいだとか言ってからかってたけど、わたしは彼がうらやましかった
このひとりぼっちを感じるきもちを疎ましくおもっているわけでも、誇らしくおもっているわけでもないけど、紛れもないわたしの感情だから付き合っていくしかないのだ
そして、孤独感を手放すのはちょっとこわいなっておもっているわたしも、孤独感を手放したらどんな生き方が待っているのかすこし期待するわたしも、どちらもわたしとして受け入れるしかないのだ
じょうずに付き合えなくても、逃げちゃいけないっておもうんだ
まあこれからもよろしくね