この物語はフィクションです
きづいたら一ヶ月近く更新してなくてびっくりしたから更新する
わたしのこの人生は、誰かが読んでいる物語ではないかと思う時がある
わたしが主人公でも、わたしの周りの誰かが主人公でも、どちらでもかまわないけど、読んでいる誰かからしたらこの物語はフィクションで、わたしはフィクションの世界の住人なのかもしれないと考えることが、小さな頃から何度もある
だからわたしは疲れてしまったとき、「今ご飯に呼ばれてくれたりしないかなぁ」と考える
意味わかんないと思うので説明すると、この物語を読んでいる人(なぜかわからないけど、わたしのイメージは女性なので彼女と呼ぼうと思う)が今、食事の時間になって、読書を中断しなくてはならなくなって、栞を挟んでこの本を閉じてくれはしないかなっていうきもち
彼女が本を閉じている間は、わたしは演者ではなくなるから休むことができるっていう理屈だ
ただ、ひとつ問題なのは、わたしに休んでいる自覚が生まれるようにできているのかということ
もしかしたら、彼女がこの本を閉じたら、この物語の時は完全に一時停止してしまって、わたしの思考も動きもすべて固まってしまうタイプの世界かもしれない
だとしたら、物語が動いていないとき、悲しいことにわたしは休むことができない
そして、今まで1度も日々が停止したことはないから、このタイプである可能性が高いと思う
なんて、今までわたしのいる世界が誰かの読んでいる物語だと仮定して話をしたけど、そんなことはきっとない
もしそうだったとしても、わたしが生きている人生は、わたしにとっては紛れもない事実だ
そう形作られたシナリオだとしても、そのストーリーがわたしにとっての「本物」なのだ
でも、想像することくらいなら許されるかな
この物語がフィクションなら、わたしは明日、いきなり一国の姫になるかもしれないし、明日、一生の友達ができるかもしれないし、明日、空から天使が降ってくるかもしれない
もしもの明日のシナリオを想像する
疲れたときには、彼女が栞を挟んでくれることを期待する
そうして、ちょっとでもこの日常を非日常だと感じることができるなら
わたしの妄想癖だって、捨てたもんじゃないと思うんだ