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脳がバグったので寿司とローストビーフを買って泣きながら食べました
早く死にたいの気持ちがずっとぬぐい去れない
10年くらいぼんやりと感じていた希死念慮のかたちがだんだんはっきりしてきたのを感じて、中央線が止まった原因への感情移入が強くなる 春は死にたいね わかるよ
わかるなんて言われたらやだろうな ごめんね
何階からなら死ねるんだろうって窓から地面を見る 講義棟の窓には柵があって、しっかりしてるなあって感心した
課題をやっていてもご飯を食べていても講義を受けていても、ふと気づくとポロッと「死にたいな」と言ってしまいそうになる
死にたいのに食べて、胃に詰め込んだ食物が気持ち悪くてまた泣く
学校の相談室の相談員さんにすすめられて最近心療内科行き始めたんだけど、病院でうまく話ができないから、大学生はそういう人多いよって1番弱い薬だけ出されてあしらわれる
薬は正直気休めにもならないくらい効かないし、通い始めて2週間で親にバレた
わたしが留守の間に親が来て、勝手に家に入り勝手に部屋を漁り勝手に予約表を見つけたらしい
何でそうなったのかなあ どうしたら親とうまく付き合っていけるの?
わたしの親はわたしのことを愛してくれているし、それはわたしに対してお金をかけてくれたことにもさまざまに世話を焼いてくれようとすることにもあらわれているんだけど、わたしは親からの「愛情」の形にずっとなじめないまま娘として生きてきてしまった
死にたい 親はたぶんやさしい 死にたい
病院でこの話(バレた話)をしたら担当の先生は人の親だから親に感情移入してて「親は心配してるつもりなんだろうけどね……」と言われて泣きそうになった 親が心配してるつもりなのはわたしだってめちゃくちゃわかってるんだよな
極端な話をすると、わたしの親の愛情表現のほとんどがわたしにとって「干渉」でしかなくて、お願いだから放っておいてほしい ってそれこそ小学校高学年くらいの時から思っているんだけど、世間から見たらわたしは優しい親に対して冷たい親不孝者でしかないし、実際そうなのかもしれない
わたしはわたしに対してなにも信頼がないので、主観を語る時ぜんぶが 〜かもしれない わからない になってしまって、カウンセラーさんにも先生にも首を傾げられてしまう
わたしに対しての信頼がないので、今までの人生で出してきた全ての決断も正しかったと思えてない もしかしたら全部まちがってたかも という恐怖に怯えながら毎日生きている
大学選びも学科選びもすべてまちがってたかもしれない だからこのあとぜんぶ崩壊するかもしれない という怖さから逃れられない
間違ってたって崩壊したってぜんぶお前のせいだよ わたしのせいだよ そんなことわかってるよ それでもこわいんだよ
こわいのはいけないことなのかなあ
ぎりぎりの表面張力で生きているので、お願いだから刺激しないでって思いながら息をするけど、世界はわたしが息をするだけで気に食わないらしい 被害妄想だね ね
これはメモです
なんか……もしかして死んだほうがいいかも……みたいな気持ちになってしまう クソ寒いし体調が良くないし課題がやばいし心細い 実家にいたときよりひとりでいるほうが監視されないし無意味に怒られないし怒号も泣き声も聞かなくていいし母と姉の板挟みにならなくていいし姉を2時間慰め続けなくていいしとっても楽だけど、実家を出ても別にわたし個人が変われるわけでもなくずっと人にどう思われるかを気にして生きているのめっちゃダサくてつらいですね わたしはしょんぼりしてしまったときに文章にして心を落ち着かせるタイプなんですけど、なんか世間のみんなはTwitterに鬱ツイートをしないしほんとうにえらい わたしは本当にダメ 申し訳ないのでなぐさめないでください……なんかよくわかんないけど人生において根底にごめんなさい許してくださいみたいな気持ちがあって、誰に対して謝ってんのか知らないけど常に申し訳ないなって思いながら生きてるの本当に嫌だなこの話したな なんかもう社会に適応できる気がしないし、いま生きてるのがこんなにつらいのにこの先50年も60年も生きるビジョン見えないよ 最後までチョコたっぷり人生送りたいのに最初からチョコはいってなくてこれなに? 幸せになりたいよ〜〜幸せってなんだよ 最近本当に朝が起きられなくて、1回目は覚めるんだけどもうびっくりするほど身体が動かなくて動かない!どうしよう!どうしよう!って思ってたらなんか寝てる感覚はないんだけど1時間とか過ぎてて多分寝てて一限すっぽかしちゃうんだよ〜 なんか、なんかさ〜なんなんだろうね 人間ってむずかしいな 毎日を無駄にしてる気がする 美容院に行けない なんかこれ話すと気合いだよとか意外と大丈夫だよとか言って貰えるけど美容院行かないとって思ってホットペッパー見てるだけで具合悪くなる もうダメだ 死ぬしかない なに?美容院恐怖症みたいなのある?あったらたぶんそれです がんばっていこうね がんばるってなに?がんばりたくないな 寝てたいずっと寝てたい寝たい寝てても時間過ぎないでほしい 寝てるんだもん
無題
誰に謝っているのかわからないし誰にゆるしを乞うているのかわからないけれど、いつも「ごめんなさい」「ゆるしてください」と思って生きている
きっと自分がいのちを浪費しているという自覚があるからだと思う
神だか親だかわからないがわたしをここに産み落とした存在があり、限りあるいのちを与えられた以上、有意義ないのちの使い方をする義務がある、とわたしは思っている
にも関わらず今日も天井を見つめてぼんやりと過ごし、なにひとつ身につけず、なにひとつ生み出せず、なにひとつ達成できずに生を浪費した
これはきっとゆるされることではなく、日々罪悪感は募り、それでもわたしはわたしを変えられずに「ごめんなさい」と呟きながらひたすら涙を流している
「どうしてそんなに自己評価が低いのか」と笑われたこともあるし、「プライドが高くて扱いづらい」と疎まれたこともある
どちらも正解だと思う
この二律背反は確かにわたしの人格形成の大きな部分を担っている
事実として、わたしは自己に価値はないと思っているけれど、世間一般的に見て能力値が高いのだろうということもなんとなく自覚している
そのため、自己の価値を認めたいわたしは、存在意義を「己の能力」に見出そうとするけれど、結局どれも自分が自分を大事に思えるほどではなくて、ますますわたしのアイデンティティは揺らぐこととなる
「人並み程度にできること」だけ無駄に多く、「人並み以上にできること」はほとんどない 俗に言う器用貧乏がわたしである
それでも掴みかけた己の存在意義の端っこだけは大事に持っておきたくて、結果、中途半端で貧相なプライドだけを握りしめた卑屈人間のできあがり、ということになる
最悪
ばかみたいだ
持っていたってしょうがないものは手放せないし、手に入れたいものは手に入らない
なにもかもが中途半端でどうしようもなくまぬけで、ひたすらに謝ってゆるしを乞うけれど、だれにも届かず、ゆるされることもない
1ミリたりとも成長できないまま、年月だけを重ねて虚しくなってまた泣いて、だけどなんにもかわらない
世界が残酷なんじゃない
わたしが愚かなのだ
無題
ひと付き合いが苦手すぎてどこまで踏み込んでいいかわからず、インターネットでも現実でも泣いてばかりいるクソ陰キャなのでもうどうしたらいいかわかりません
青春の痛みってやつでしょうか、それならわたしの青春は痛みだけを残してどこへいってしまったのでしょうか
甘えてばかりいるからこんなことになってしまったのだとはぼんやりとわかりますがもうどうしようもありません
わたしはどうしたらいいのでしょうか、わたしはわたしを愛したかったのですが当分できそうもありません
生きていくのがこわい
だけど自ら命を投げ捨てる勇気もない
せめて責任という言葉だけでも遠ざけようと、どうにかしてモラトリアムを引き延ばそうとしています
情緒不安定すぎてどうにも息もできず声もあげられずじぶんもじぶんを制御できず、あとすこしの辛抱とおもいながら毎日生きていますがあとすこし辛抱するとなにがおこるのかわかっていません
あとすこしがどのくらいなのかもわかりません
わたしはなんのためになにを耐えているのでしょうか
救われる日は来るのでしょうか
わたしを救えるのは結局のところわたしだけだと、そう、ほんとうはわかっています
彼女に救いを求めたって、彼に救いを求めたって、結局はわたしがわたしをゆるせなくては救いはこの手に入りなどしないのです
わかっているからなんなのでしょうか、わかっていてもわたしはわたしを救えません
むなしさだけが募ります、募って募って押しつぶされて死にたいです
あしたへの希望などありません
朝起きて、目が覚めて、ああ今日も生きていると絶望します
左手首に押し当てられないカッターナイフを眺めて過ごす時間は世界でいちばん無意味です
じぶんが死んで誰もが泣いている葬式を空想することは世界でいちばん滑稽です
あしたもあさってもその先もずっと続く日々がおそろしくて仕方ありません
不自由なことなどありません
毎日食事を与えてもらえます、清潔な衣服を与えてもらえます、勉強をさせてもらえます、ある程度すきなことをさせてもらえます、必要なものや娯楽も買い与えてもらえます
幸福であるはずです、少なくとも世界中の4億人の貧困で苦しむこどもたちよりずっと
それなのに自らの命を捨ててしまいたくなるわたしが憎い
どうして、なんで、あなたはそんなに贅沢者なのか
わたしはわたしが嫌いです
少しもじぶんをいいと思えません
だけど、それなのに、自己愛だけは人一倍でじぶんが傷つくことを極度に恐れます
そんなふうにアンバランスだからうまく生きられないのでしょうか
被害者意識ばかり育って
ほんとはだれもわたしのことなんて興味がない
だからだれもわたしのことなんて傷つけてもいないのに
悲劇のヒロインぶって生きている
心臓が早鐘を打ちます、変な汗が出ます、唇を強く噛みます、不安で死にそうになります
そんなのわたしだけじゃないのに
だからだめなんだよ、ばーか
無題
非凡な人が自分は凡人だと言って嘆いている
なら、本当に本当の本当に凡人なわたしはどうすればいいだろうか
だれかのとくべつになりたかった
きみの神様になりたかった
あなたの天使になりたかった
今日も泣きながら眠るもうひとりのわたしのヒーローになりたかった
昼休みをトイレで過ごすわたしの分身の光になりたかった
あなたが、明日も生きる理由になりたかった
わたしはなにもない
本当になにもない
なにもしていない
なにかをしようとして諦めてもいない
18年生きてきてしてきたことは、願望をこじらせて勝手に屈折していろんなものを落っことしてけっつまずいて被害妄想をして心の中で騒ぎ立てただけ
わたしは、だめでした
今日もだめでした
きっと明日もだめでしょう
励まされたかったんじゃなく、励ましたかった
救われたかったんじゃなく、救いたかった
抱きしめられたかったんじゃなく、抱きしめたかった
生きていてもいいと、わたしを通じて思ってほしかった
おこがましくてもただのエゴでも自己満足でも、それでもわたしは救世主になりたかった
自らの生も肯定できない人間には荷が重かったね
世界を変える力も君を抱きしめる力もなかった凡人の搾りかすが今日も生きています
月経が止まっても、毎晩蕁麻疹が出ても、指の歯型がなかなか消えなくても生きています
地面を踏みます息を吸います
それで、どうにか勘弁してください
あたまがよくなりたい
わたしは常にものすご〜くあたまがよくなりたいのだけどそれを手に入れるために伴う努力はさぼりがちという最低人間です
でも、あたまがよい人(さらに態度が嫌味でなくあたまのわるいわたしにも見下さず対等に人間として扱ってくれたらさいこう)と話すの、だいすきで、あ〜〜〜〜めっちゃこの人あたまよい〜〜!!と痺れる……もうくらくらしちゃう、麻薬ですね
うっとりしちゃうの
その人のあたまのよさ、にガーーーンと殴られて圧倒的な敗北感でうわ〜〜〜となるんだけどめっちゃきもちいいんですよね〜〜
あたまのわるいわたしを宇宙に置いてきぼりにするあたまのよい人もいるんですけど、それもいいんですけど、置いてきぼりにしないように気を使ってくれるけど、圧倒的に差をつけられるあたまのよい人、ものすごい
ほんとにあたまのよさにうっとりする、それ以外の形容のしようがない
そこまでガーンと来るほどあたまがよい人、わたしのあたまがわるいせいかあんまり会ったことがないんですけど、Twitterとか見てるとめっちゃうじゃうじゃいて、もうそういう人たちのツイート何時間でも見れる超絶たのしいよね…
あたまがよいというのは、学生時代の勉強ができる、というのもたしかにあたまがよいの範疇なのだけど、社会問題に興味を持っていたり、単純に語彙や知識が多かったり、発想が柔軟だったりする人……すきですね…とてもすき
教養がある、っていうのかな〜
わたしも、幅広いことに興味を持ちたいですね、人生において…
無理して学ぶのではなく、楽しく学びたいな〜
楽しく学ぶためには学びの対象を愛することが必要だと思うのですけどね
あたまがよい人というのは、こちらがなけなしの知識でなにかを言うとすぐに的確に意味を捉えてキャッチボールしてくれるので、意味がおもったように伝わらなかったり、認識の相違があったりすることがないので会話がストレスフリーというか
まあわたしは、会話が噛み合わないのも、あ!いまわたしは多様性にふれている!と感じるのでそれはそれですきなのですが!
学校生活ではよくあるのですが、頭が良い人が頭の良さをひけらかそうと、大声で知識を押し売りしてるのを見るととても苦い気持ちになっちゃう
クラスにもいるんだけどね
すごく頭が良くて特に政治分野とか詳しくて
でも言ってること全部主観が強くて、さらに語気も激しくて、わたしは大きな声も押し付けも苦手なので、昼休みににその声が聞こえてくるたび耳を塞ぎたくなる
教室は鍵垢のTLじゃないようって思っちゃうあたり、わたしも世紀末ですね
でも語彙力とか説得力とかはほんとにものすごくて、押しの強さも相まってなんだか彼女の言うことにはうなずいてしまう不思議
それもきっと魅力というのでしょうね
あ〜〜あたまよくなりたい!
知識をひけらかすあたまのよさではなく、じぶんを高めるあたまのよさ身につけたい
がんばろう、まずは受験生としての義務を果たすところね
無題
友達にペットボトルの蓋を開けられない子がいる
ペットボトルを無言で差し出してくるのはもーうかわいくってかわいくって、頼られたことがうれしくて爆速であけちゃう
でも、かわいいねって思うと同時に、ペットボトルを自力で開けられなくてもなんら問題はない環境にいることが羨ましくてこっそり膝をつねったよ
ペットボトルの蓋、つい5分前くらいに開けたけど、そのときも今もわたしはひとりだ
もしわたしが彼女と同じくペットボトルの蓋を開けられなかったら、わたしはジャスミン茶のボトルを握りしめて、乾いた喉を持て余して途方に暮れるしかない
そういうことだ
あえて最後まで説明しない不親切設計なブログだけど、そういうこと、つまりはね
出来ることと出来ないことというのは、その人の能力だけでなく、置かれた環境も表すんだなとあらためて感じて
出来ることの多い人
なんでも出来る人
というのは、もしかしたら、
出来なくてはいけなかった人
しかたなく出来るようになった人
かもしれなくて、だとしたらそれは悲しいし、出来ないことがあるというのは幸せであたたかなものかもしれない
なんでも出来ることは素敵で憧れるけどどこかさみしく、かといって出来ないというのは時に人を不快にさせ、自分を嫌いにさせるし、いい塩梅ってなんなんだろうか
なんでも出来る人をかなしく仰望しながらも愛おしく、なにも出来ない人を妬みされどかわいく愛おしく、思いたいね
きれいごとだけど
理想がきれいじゃなくてなにがきれいなんだって話だよ
理想は博愛
きみを愛すしわたしを愛す
あなたを肯定するしわたしを肯定する
嫌いなあの子も苦手なあの子も許せないあいつも憎いあいつも、世界のどこかで生きて、幸せに、しあわせに、痛みもなにもかも抱いたままでしあわせになれますように
蒙きを啓く(くらきをひらく)ような大層なことできる器じゃないから、ひたすら祈る
捨ててやらないよ、だいじだもん
わたしもこの汚い感情とともにしあわせになりたいです