ただそれだけ!

JKじゃなくなった人間の陰鬱な日記

あきらめる勇気

今日、11年間通った書道教室をやめた




おわりは意外とあっけなくて、引き止められることもなく、「ありがとうございました」を何度も言って、ケーキ屋さんのちょっとお高いクッキーの詰め合わせを渡して、それでおしまいだった

行くまでは本当に気が重くて、三月末に行く予定だったのを色々理由をつけてずるずる引き伸ばして、やっと今日行ったのに、おわりはなんともあっさりとしていて少し拍子抜けしてしまったくらいだ




わたしは、小さな頃から色々な習い事をしてきた

させられていた、と言っても間違いじゃないと思うけど、今考えるとわたしはわたしでそれらを意外に楽しんでいたので、あえてこの言葉は使わないでおく

ピアノ、英会話、書道、バドミントン、中学に入ってからは週に一度学習塾にも行った

全て最低でも3年は続けていたと思う






わたしにとって、1度始めたことをやめるのは悪だった

あきらめることは恥であり、どうしてもやってはいけないことだった

教室をやめる時は必ず、そもそもその教室の対象の年齢から外れた、とか、中学に入学して時間がなくなった、とか、わたしの意思に関係ない理由でやめていた

やめるとき、やめなければならないときはいつも、これはわたしがあきらめたんじゃない、仕方のないこと、わたしが脱落したんじゃない、と言い聞かせていた


でも、たしかにいつも心のどこかで安堵し、静かに喜んだ

あぁ、やっと開放される、わたしは免罪符を手に入れたんだ、と







わたしの世界で一番好きな青春小説家である額賀澪さんの小説、「タスキメシ」の一節にこの言葉がある


「あきらめる勇気があったんだ。続ける恐怖なんてきっと乗り越えられる。」


この言葉を身体に受け入れたとき、わたしはとても驚き、同時に涙が出た

あきらめることには勇気が必要なのだ、と、わたしは初めて知った

そして、あきらめる、ということが怖いのはわたしだけではないのだ、とも



あきらめるな、Never Give Up、諦めたらそこで試合終了、世間にとってあきらめることは非難されるべきことだ

あきらめることは弱者が行うことだ

そういうステレオタイプが染み込んでいる




その固定概念のせいで、わたしもあきらめることに対してマイナスなイメージを抱いていた

しかし、この言葉はそんなわたしを救ってくれた

あきらめることには勇気がいる

あきらめることは逃げなんかじゃない

あきらめることは強い者しかできないことだ


たしかに、あきらめないことはすごいことだ

懸命にがんばることは尊いことだ

でも、あきらめることも同じくらい気高く美しい選択だとわたしは思う






そして、今日、わたしは初めて、自分の意思で、わたしの過去の選択をあきらめることができた

完全に、というわけではない

今回も「受験で忙しくなるから」といううすっぺらい免罪符を握りしめている



それでも、わたしは今日、勇気を振り絞ってわたしのひとつの可能性をあきらめた

いや、可能性にも満たない小さな光をあきらめた

それはとても苦しかった

でも、わたしには、ちっぽけだけど勇気があった

それを知ることができてよかった、と思う






あきらめることができるきみは勇者だ

あきらめずにがんばるあなたも勇者だ

そして今日、わたしも勇者への切符のかけらを手に入れた



そんな気がする