ただそれだけ!

JKじゃなくなった人間の陰鬱な日記

お母さん

最近こういう内容ばっか書いてる気がする、すみません

まあほとんど読んでる人いないとおもうから謝る必要ないか!すきにやります



もしもわたしの伝記が作られて、わたしの考え方生き方全てが他人に伝えるために文章化されるとしたら、「わたし」を語る上で絶対に欠かせない存在は 母 と 姉 と前回の記事でかいた 中学時代のとてもかわいい友人 だ


姉についても思うところがありすぎるのでまた後日あらためて書きたいなと思っているけど、今回は母

わたしのお母さんについて記録しておこうと思う




母はわたしを産んだ時にもう41歳(ちなみに結婚は39歳)で、最近珍しくもない晩婚の高齢出産だった

母はとても「お母さん」らしく、専業主婦で自らはパン教室とトールペイントの教室に通い、わたしたち子供には幼い頃から英会話とピアノ教室と書道教室に通わせていた

幼い頃の休日には一緒にお菓子作りをしてくれ、わたしたちのエプロンや給食袋を縫ってくれ、たまには裁縫を教えてくれた

普段の母はとても優しくてあたたかくてだいすきだった

それだからこそ、そうではない部分が引き立った

完璧なんて求めてないけれど、母は完璧な「お母さん」ではなかった

でもきっと、母はそれを目指していたのだと思う、そしてわたしたち姉妹には完璧な「私のこども」を求めていたのだと思う

いまになってそう思う





母は片付けができなかった

チェーンのファミレスもドラッグストアも100円ショップもない寂れた田舎の地価なんてたかがしれている

しかも駅からも車で10分、歩いて40分かかるほどの場所に建った一軒家なので、わたしの家は同級生の中でも2番目か3番目に大きい(それでも豪邸というほど大きくはないし、一般家庭の枠の中で少しだけ大きい家だと想定してほしい)

リビング、ダイニングを含めて7部屋、トイレは2つ、そんな無駄に多い部屋数の中で、機能している部屋は4つ、トイレはひとつだ

仏間と銘打たれた部屋には、一応仏間の名に違わず仏壇と神棚が置いてあるが、その周りには衣類やら何かの書類やら使ってない健康器具(ついでに母は浪費家で、使いもしない健康器具、飲みもしないサプリメントを通販でよく買っている)やらが散乱している

二人の子供にひとつずつ与えられたはずであった子供部屋の片方には、10何年も前のブラウン管テレビが鎮座しておりそのまわりにまた何年も着ていない衣服が山積みになっている



母は片付けられない女であり、捨てられない女だった

わたしたちが小学生の頃に着ていた服も、母が会社に勤めていた時に着ていた服も、ガサガサゴワゴワになって穴の空いたバスタオルも、5年前の漫画雑誌も、もっと言えば壊れた電気ケーブルやインクの切れたペンだって、この家ではずっとずっと居場所があった

父は呆れ果て母に注意をしたが、母にとってはすべて大事なもの

母のいるこの家で生活していく、ものはどんどん増える、減ることはない





母はヒステリー持ちだった


部屋が散らかっている、ピアノの練習をしない、口答えをする、テストの点数が著しく悪い

そんなことが起こると母は決まってヒステリーを起こした

「言うことを聞けないならうちの子じゃない」「誰が育ててやってると思ってるんだ」「この家から出ていけ」

とかなんとか訳のわからないことを喚き散らしながら手当たり次第にものを投げる

これがヒステリーを起こした母の「いつも通り」だ


投げられてくるものは本当にいろいろだった

その辺に転がってたクッション、洗濯物、雑誌なんかだったらまだよかったが、母が手に持っていた携帯電話(当時はまだガラケーだった)、テーブルの上に置いてあったはさみ、ひどい時にはリビングの棚の引き出しを引きずり出して引き出しの中身ごと投げてきたときもあった

それらが身体に当たらないように必死に避けて命乞いをする

「ごめんなさい」「お母さんごめんなさい」「ちゃんとやります」


ひとしきりものを投げたり罵倒したりして満足すると、母はいつも優しい声でわたしを呼び、抱きしめて言った

「ごめんね」「ママちょっとカッとなっちゃった」「ゆるしてね」

そして最後は必ずこの言葉で締めた

「でも(本名)ちゃんが〇〇しないのも悪いんだから気をつけようね」




これが普通だと思ってた

どこのお母さんもみんなこうだと思ってた

「お母さん」という存在は、こういうものだと思ってた

怒った母親に真冬に部屋着で外につまみ出されて、鍵をかけられてガタガタ震えながら玄関の前にしゃがみこんで許してもらえるのを待つのも、ランドセルをベランダから投げ捨てられて庭に散らばって夜露に濡れた教科書を泣きながら拾うのも、習い事で先生に叱られてお母さんに恥をかかせたので車から降ろされて、真っ暗な中1時間かけて歩いて帰宅するのも、ぜんぶみんな経験することだと思ってた






どうやら他の家は違うらしいと気づいたのがいつの頃だったか、あんまり覚えてないけど、たぶん小学校高学年くらいのときだったと思う

ドラマやアニメで見る母親は、怒ってもせいぜいゲンコツひとつくらいで、ものを投げるところも子供を締め出すところも映っていなかった

周りの友達もそんなことをされている様子は全くなかった

「お母さんに昨日怒られちゃった」

と話す友達の腕にも脚にも痣も傷もなかった







お母さんはたぶんちょっとおかしい

最近は時々赤ちゃん返りしたみたいに甘えた声で

「よちよちして」「ぎゅうして」「もうやだ!つかれた!なんでママばっかり!」

と駄々をこねる

よしよし、とハグをして、家事もできるところはやって、お母さんをあやす


心配ごとがあるとき、ちょっとやらなければならないことが立て込んでいてつらい、そんなときにうっかり母に弱音をこぼす

母がわたしをいたわってくれたことは1度もない

いつだって

「あなたはまだ楽」「わたしの方が大変」「そんなこともできないのか」

そう言ってわたしを責めたてた






ないものねだりだ

わたしは恵まれている

衣食住に困ることもない、毎日ごはんが出てくるし、制服も洗濯されるし、必要なものも買い与えてもらえる


母は普段はとても良い母だ






それでもわたしは、お母さんがほしかった

別にパン作りも出来なくていいし、お裁縫も得意じゃなくていい、ピアノ教室や英会話教室に通わせてくれなくてもいい

だから、弱音をこぼしたときに励ましてくれて、親身に相談に乗ってくれて、ものを投げたり大きな声で罵倒しないお母さんがほしかった





わがままでごめんね

なんて親不孝者なんだろうね

それでも、わたしがこんなふうに卑屈で情緒不安定で社会不適合な女子高生になってしまった理由を、誰かに押しつけないと生きていけないんだ


あなたにはあなたの地獄があるし、わたしにはわたしの地獄がある

それだけは確か、あなたとわたしの地獄が同じ程度のわけないけど、地獄があるのは確か





お母さんだいすき、嘘じゃないよ