ただそれだけ!

JKじゃなくなった人間の陰鬱な日記

なんだか全然別のことが書きたくて書き始めた気がするんだけどな

今日も今日とてアイドルに命救われて生きてる



毎日やる気出なくてなんとかノートひらいて全然集中できないけどやって、それで学校行ってみんなめちゃくちゃ頑張っててやばい!やらなきゃ!って思うのにやる気は出なくて今日もダラダラダラダラやってる


もうほんとにダメダメ女すぎる、なのに謎にプライドばっかエベレストじゃんもうだめ行くとこなし

大学生になりたいです










ドライヤーするときだけDVD見てもいいことにしてて、最近はずっとセクゾのSTAGE魂を見てる、さいこう


STAGEの、ファンが歌うとこ

あそこが、彼らは何もしてなくてただステージに立ってるだけで、歌っているのは観客のほうなのに、あの瞬間がいちばん彼らがアイドルであることを実感させてきて本当にすきだ


ステージに立っているだけで、マイクを向けたらファンが歌ってくれるなんて、愛されている証拠だ






アイドルの仕事は愛されることだ、と思う

愛のかたちはひとそれぞれだ

たとえばわたしの愛はきっとものすごく重たくて、わたしにないからって勝手に希望と光を押し付けている


それでも笑って受け取ってほしいんだ

エゴだってわかってるけど、ひどいこと言ってる自覚はあるけど、愛されてることを忘れないでほしいんだ

不器用だけどわたし、アイドルを愛してるよ







わたしの存在なんて一生気づかないでいてほしい、ほんとはちょっと気づいてほしい、でもやっぱり認知しないでほしい

どのアイドルに対してもそう思ってる

だからこそひよってあんまり現場にも行けないのですが



すきだからこそ、気づかないでほしい

わたしがここでひっそりとあなたのことをだいすきだと思って泣いていることなんて知らないでほしいの

勝手にあなたのことがすきで幸せになってるから、あなたも勝手に幸せになってほしいんだよ


なんで知られたくないか、うまく言葉に出来ないんだけど

多分1ミリでもあなたの人生に触れてしまって、それであなたの人生が狂ってしまったら、という恐怖と、単純に醜い姿を見られるのがはずかしいからと、あとたくさん理由がある

でも、最後に言えるのはすきだからだよ

すきじゃなかったらこんなこと思わないよ、だいすき、アイドルでいてくれてありがとう







まいにちまいにち自分が嫌で泣きたくなってばかりだ

でもすきになるためにがんばってるんだから、今は嫌いでもいいかな

自分すきになって、ちょっとでも自信つけて、あなたの人生にちょっとでも触れられる自信をつけて、また会いに行きたいです

いつも会いに行くのが幸せだけど怖いから、幸せだけ抱きしめられるように






わたしにとってアイドルとは、

アイドルに抱く感情とは、

恋をしたことがないからわからないけど、きっとこれは恋に似た感情だろうというものがあって、羨望がちょっとあって、憧れはたくさんあって、圧倒的な敗北への心地の良い絶望感があって、尊敬があって、焦燥感があって、そして、純粋培養だけどひねくれた愛がある






今から数学をやります、このブログ読んでくれた人、もし居たら、心の中でがんばれ~って言ってね





どんな日々を過ごしたとしても、君だけ照らす

愛を語ります

そう、わたしの、はじめてすきになった、今もだいすきなアイドルへの愛です





光り輝くペンライト

彼らの名前を呼ぶ声

期待が最高潮に高まったその瞬間、響く音楽

照らされるスポットライトの下で、輝く人たち





SexyZoneの、話をします

SexyZoneの、マリウス葉さんの話をします

わたしが5年間もだいすきで、憧れて、尊敬して、愛おしく思ってやまない彼の話をします




最初は本当にただただかわいい男の子でした

メンバーやスタッフに甘えて、甘やかされて、無邪気に笑っている

それだけで天使のように麗しく、幸せを与えてくれた


ちょっとワガママだったり、子どもらしく拗ねちゃったり

お兄ちゃんたちに追いつけなくてモヤモヤした時期もあったと思います




それでもずっと一貫して彼が伝えてくれたのは、自分は「人を幸せにしたくてアイドルになった」ということ

根底の博愛の精神には、彼がドイツ生まれのハーフで、クリスチャンであることも関係しているのだと思います


「だいすきだよ」

「愛してるよ」

「きみを幸せにしたい」

まだまだ大人の保護下に置かれるべき、10代も前半の少年が、まっすぐな瞳でそう伝えてくれることがあるでしょうか




たった11歳で、人生を人を幸せにするために使おうと海を渡ったその覚悟

税関で止められても、強い意志を持って震災後の日本に降り立った覚悟

いつかの雑誌で、この仕事をするために1番重要なことはなにか、と聞かれた彼が「人生を捧げる覚悟」と答えていました

そう、きっと、それがすべてです

彼はそういう人なのです

だからわたしは彼がすきなのです




全員が歳上のメンバーの中で、言葉も上手く通じない中で、厳しい芸能界を生きていくのはわたしには想像もできないくらい大変なことだったのでしょう

歯がゆい思いも、つらい思いも、たくさんしたのだと思います

わたしが知っているだけでもたくさんあります



有名な話なのであえて言及はしませんが、5人が5人じゃいられなかったとき

SexyZoneなのにSexyZoneを名乗れなかったとき

見ているわたしだってものすごくつらかった

彼はこんなにも素晴らしいのに、こんなにも頑張っているのに、こんなにも、こんなにもって


でも彼が弱音を吐くことは1度だってありませんでした

いつだって笑顔で、変わらずポジティブで、わたしたちに幸せを届けてくれた

それがどんなに大変なことだったか、はかりしれません


でも彼は成し遂げた、あのときはまだ彼は中学生だった

こんなにも芯の強い人がいるでしょうか




最近は、バラエティーセンスもトークスキルもぐんぐん上がっていて、昔のかわいいだけのマリウス葉じゃありません(わたしに言わせると昔だってかわいいだけじゃなかったのですが!)

確かな実力をつけています

変顔や一発ギャグや下ネタを恥ずかしがっていたあの頃のマリちゃんはどこへやら!(その片鱗がまだたまに見えるのもかわいいのですが!)


アルバムの特典のDVDで変顔を何回も披露する姿を見て驚愕し、今回のツアーで1年ぶりに会った彼を見て、さらにそれを実感しました

1番の感想は、「めちゃくちゃ強くなってる……」

メンバーからいじられて半べそをかいていたなんて信じられないくらい

本当に、本当に、風磨くんが言っていたように、さらに強くなりました



彼のすきなところ


顔はもちろん、現代版ダビデ像のように完璧にお美しく、まだあどけなさと純粋さがほんのり残る言動もかわいくってだいすきです

そして、彼の思想がたまらなくすきです、尊敬しています

彼のような人になりたいとさえ思います




とりあえず手に取りやすいところで言いますと、発売中のSPURという雑誌のインタビューが良すぎるので買ってください(宣伝)

聡明で、ハッキリとした自分の考えを持ちながら、決して驕ることなく、いつだってだれかのことを考えている

そんな人なのです、彼は



インターナショナルな思考回路は閉鎖的な日本では、まだ理解されづらいかもしれません

それでも、発信してくれている

代弁してくれている


彼の発言がTwitterなどで賞賛されているのを見ることも、少なくありません

そんな様子を見ると、いつも勝手に誇らしくなります

受け入れられるのはきっと遠くない未来




そして、今もじゅうぶんすぎるほど賢いのに探求をやめない人なのです

常に自分を高めていこうとする人なのです

そして、ありのままの自分を愛せる人なのです

ありのままの自分でいいと肯定してくれる人なのです



彼の最高にすきなところは、いつでも「一緒に」と言ってくれるところです


わたしが入った公演とは別の公演なのですが、ツアー横アリオーラスのレポで「明日から僕も大学なんだ…だから一緒に頑張ろうね!」と言っていたというのを見て、思わず笑顔になりました

彼はいつだって一緒に頑張ろうと言ってくれるんです

今回だけじゃなく、いつも

彼はいつも、わたしたちに寄り添ってくれる言葉をかけてくれます


(実はこれはマリウスくんだけでなくSexyZoneみんななのでまたいつかそれについても書きたいですが、特にマリウスくんは顕著だと思います)




わたしのような拗らせメンタル弱々女が、こんなにも眩しく、どこまで言っても光なマリウス葉くんをすきなのは意外かもしれません

でも、これがいちばんの理由なんだと思います



こんなネガティブメンヘラ女でも、そのままでいいって言ってくれるんです

一緒に行こうと言ってくれるんです

それがどれだけわたしを救っているか、マリウスくんは一生知らなくていいけど、わたしは絶対忘れません



いつだって最高を更新してくれるのです

そしていつだって夢を見せてくれるのです

ちょっと目を離したってその瞬間、すぐに引き戻してくれる

目を離す暇なんて与えない

一瞬でも目を離したことを絶対に後悔する


そんな魅力を持っている人です




わたしが、アイドルをすきになるきっかけになった人

いつだってわたしを照らしてくれる人

ずっと輝いているのを見ていたい人





こっちで勝手に愛してるから、絶対幸せになってください

一緒に歩いてくれてありがとう

これからもあなたの見ている景色のほんの一部だけでも、一緒に見たいです



マリウス葉くんがだいすきです

SexyZoneがだいすきです

絶対時代を作ろうね

東京ドームで「みんな僕にハマリウス」死ぬほどしたいです









PAGESのコンサートがとても良くて書きました

でも、一人が欠けていて寂しいことに慣れたくはないので、やっぱり5人が最高だと笑いたいので、待ってるからゆっくり休んできてね、聡ちゃん


クッソ生きてやる

https://m.youtube.com/watch?v=IytBgF3UhP0


これを見ないことには今日のブログは始まらないのでまず見て下さい





このうたを聴いた時、びっくりするくらい自然にぼろぼろ涙が出てきて、100パーセント、150パーセント、1億パーセント違うのになんでか「あぁ、これ、わたしのためのうただ」って思った

そんなのありえないし、めちゃくちゃおこがましいんだけどね





このブログを毎回読んでくれてる人ならうっすらその理由がわかるかもしれないけど、とにかくわたしにはこのうたがとんでもないくらい刺さって、どこがどう刺さったかなんて説明できないくらいで

鋭くとがっていて、むきだしの刃のようだけど、それでも優しく包み込むビロードのようでもあり、まちがいなく、誰かを救うためのうただと思った






かわいそう抜きでもかわいいし

私をギュッてしないなんておかしい


同じ呪いで

だからって光を諦めないよ


生き抜いたその先を見てくれ私と

この世の果てまで


悲しみも映えてる

問題ないよ


ぶちかましてこ


クッソ生きてやる







やっぱり大森靖子さんは天才で、世界の終わりに現れる救世主だ



泥臭く生きよう2019

毎日死ぬほど神経すり減らしてるし、毎日死ぬほどやることたくさんあるし、つまり毎日死ぬほど忙しくて精神が死にそう


顔も死んでるらしく、去年から同じクラスのそんなに話したことない子にも軽く心配された

いや……やさしいな…………ありがてえ




詳しいことは割愛するけど、文化祭の準備とかいう青春っぽいことで、まあなんと青春っぽくかなり揉めて、またまた青春らしく間に挟まれて中継ぎ貿易みたいなことしてる

きっっっついわ






そして本格的な受験生というものになってしまったので、勉強もしている

たぶん一般的な受験生の半分もしてないかもだけど、今までぜんっぜんサボってたのでわたしとしてはちょっとしてる


毎日毎日頭の中で次はああして次はこうしてこの間にこれをやって、みたいなことをずっと考えてる

かなりしんどい




でもなんか頑張ってるな~という感じがする

わたしいまめちゃくちゃ真っ当な人間っぽい気がするな~と感じてる

クズ人間極めてたからそれがなんかすごい自己肯定感があがるというか なんというか


そう考えるとハイパースーパーしんどいけど今の自分が嫌いじゃない

まあハイパースーパーしんどいけど(2回目)





こういういかにも~~なこと言いたくないけど、人生で1回ぐらい死にものぐるいで頑張ってみよう、と思う





まあ意志よわよわ人間だから明日にはもうやだ頑張りたくない受験しなくてもいい大学行かないとか言ってるかもしれない

てか多分言ってる

でもこんなしんどすぎる状況で、ものすごい正常で前向きなこと思ったのもう何億年ぶりかわからないので書き留めておく

まだこういうふうに捉えられる考えられる力が残っていてよかった、頑張れる可能性が見えてよかった






ほんのちょっと自由になるために、大学生にはなろうね

がんばろう2019

勉強をしろ2019

泥臭く生きよう2019

お母さん

最近こういう内容ばっか書いてる気がする、すみません

まあほとんど読んでる人いないとおもうから謝る必要ないか!すきにやります



もしもわたしの伝記が作られて、わたしの考え方生き方全てが他人に伝えるために文章化されるとしたら、「わたし」を語る上で絶対に欠かせない存在は 母 と 姉 と前回の記事でかいた 中学時代のとてもかわいい友人 だ


姉についても思うところがありすぎるのでまた後日あらためて書きたいなと思っているけど、今回は母

わたしのお母さんについて記録しておこうと思う




母はわたしを産んだ時にもう41歳(ちなみに結婚は39歳)で、最近珍しくもない晩婚の高齢出産だった

母はとても「お母さん」らしく、専業主婦で自らはパン教室とトールペイントの教室に通い、わたしたち子供には幼い頃から英会話とピアノ教室と書道教室に通わせていた

幼い頃の休日には一緒にお菓子作りをしてくれ、わたしたちのエプロンや給食袋を縫ってくれ、たまには裁縫を教えてくれた

普段の母はとても優しくてあたたかくてだいすきだった

それだからこそ、そうではない部分が引き立った

完璧なんて求めてないけれど、母は完璧な「お母さん」ではなかった

でもきっと、母はそれを目指していたのだと思う、そしてわたしたち姉妹には完璧な「私のこども」を求めていたのだと思う

いまになってそう思う





母は片付けができなかった

チェーンのファミレスもドラッグストアも100円ショップもない寂れた田舎の地価なんてたかがしれている

しかも駅からも車で10分、歩いて40分かかるほどの場所に建った一軒家なので、わたしの家は同級生の中でも2番目か3番目に大きい(それでも豪邸というほど大きくはないし、一般家庭の枠の中で少しだけ大きい家だと想定してほしい)

リビング、ダイニングを含めて7部屋、トイレは2つ、そんな無駄に多い部屋数の中で、機能している部屋は4つ、トイレはひとつだ

仏間と銘打たれた部屋には、一応仏間の名に違わず仏壇と神棚が置いてあるが、その周りには衣類やら何かの書類やら使ってない健康器具(ついでに母は浪費家で、使いもしない健康器具、飲みもしないサプリメントを通販でよく買っている)やらが散乱している

二人の子供にひとつずつ与えられたはずであった子供部屋の片方には、10何年も前のブラウン管テレビが鎮座しておりそのまわりにまた何年も着ていない衣服が山積みになっている



母は片付けられない女であり、捨てられない女だった

わたしたちが小学生の頃に着ていた服も、母が会社に勤めていた時に着ていた服も、ガサガサゴワゴワになって穴の空いたバスタオルも、5年前の漫画雑誌も、もっと言えば壊れた電気ケーブルやインクの切れたペンだって、この家ではずっとずっと居場所があった

父は呆れ果て母に注意をしたが、母にとってはすべて大事なもの

母のいるこの家で生活していく、ものはどんどん増える、減ることはない





母はヒステリー持ちだった


部屋が散らかっている、ピアノの練習をしない、口答えをする、テストの点数が著しく悪い

そんなことが起こると母は決まってヒステリーを起こした

「言うことを聞けないならうちの子じゃない」「誰が育ててやってると思ってるんだ」「この家から出ていけ」

とかなんとか訳のわからないことを喚き散らしながら手当たり次第にものを投げる

これがヒステリーを起こした母の「いつも通り」だ


投げられてくるものは本当にいろいろだった

その辺に転がってたクッション、洗濯物、雑誌なんかだったらまだよかったが、母が手に持っていた携帯電話(当時はまだガラケーだった)、テーブルの上に置いてあったはさみ、ひどい時にはリビングの棚の引き出しを引きずり出して引き出しの中身ごと投げてきたときもあった

それらが身体に当たらないように必死に避けて命乞いをする

「ごめんなさい」「お母さんごめんなさい」「ちゃんとやります」


ひとしきりものを投げたり罵倒したりして満足すると、母はいつも優しい声でわたしを呼び、抱きしめて言った

「ごめんね」「ママちょっとカッとなっちゃった」「ゆるしてね」

そして最後は必ずこの言葉で締めた

「でも(本名)ちゃんが〇〇しないのも悪いんだから気をつけようね」




これが普通だと思ってた

どこのお母さんもみんなこうだと思ってた

「お母さん」という存在は、こういうものだと思ってた

怒った母親に真冬に部屋着で外につまみ出されて、鍵をかけられてガタガタ震えながら玄関の前にしゃがみこんで許してもらえるのを待つのも、ランドセルをベランダから投げ捨てられて庭に散らばって夜露に濡れた教科書を泣きながら拾うのも、習い事で先生に叱られてお母さんに恥をかかせたので車から降ろされて、真っ暗な中1時間かけて歩いて帰宅するのも、ぜんぶみんな経験することだと思ってた






どうやら他の家は違うらしいと気づいたのがいつの頃だったか、あんまり覚えてないけど、たぶん小学校高学年くらいのときだったと思う

ドラマやアニメで見る母親は、怒ってもせいぜいゲンコツひとつくらいで、ものを投げるところも子供を締め出すところも映っていなかった

周りの友達もそんなことをされている様子は全くなかった

「お母さんに昨日怒られちゃった」

と話す友達の腕にも脚にも痣も傷もなかった







お母さんはたぶんちょっとおかしい

最近は時々赤ちゃん返りしたみたいに甘えた声で

「よちよちして」「ぎゅうして」「もうやだ!つかれた!なんでママばっかり!」

と駄々をこねる

よしよし、とハグをして、家事もできるところはやって、お母さんをあやす


心配ごとがあるとき、ちょっとやらなければならないことが立て込んでいてつらい、そんなときにうっかり母に弱音をこぼす

母がわたしをいたわってくれたことは1度もない

いつだって

「あなたはまだ楽」「わたしの方が大変」「そんなこともできないのか」

そう言ってわたしを責めたてた






ないものねだりだ

わたしは恵まれている

衣食住に困ることもない、毎日ごはんが出てくるし、制服も洗濯されるし、必要なものも買い与えてもらえる


母は普段はとても良い母だ






それでもわたしは、お母さんがほしかった

別にパン作りも出来なくていいし、お裁縫も得意じゃなくていい、ピアノ教室や英会話教室に通わせてくれなくてもいい

だから、弱音をこぼしたときに励ましてくれて、親身に相談に乗ってくれて、ものを投げたり大きな声で罵倒しないお母さんがほしかった





わがままでごめんね

なんて親不孝者なんだろうね

それでも、わたしがこんなふうに卑屈で情緒不安定で社会不適合な女子高生になってしまった理由を、誰かに押しつけないと生きていけないんだ


あなたにはあなたの地獄があるし、わたしにはわたしの地獄がある

それだけは確か、あなたとわたしの地獄が同じ程度のわけないけど、地獄があるのは確か





お母さんだいすき、嘘じゃないよ


あきらめる勇気

今日、11年間通った書道教室をやめた




おわりは意外とあっけなくて、引き止められることもなく、「ありがとうございました」を何度も言って、ケーキ屋さんのちょっとお高いクッキーの詰め合わせを渡して、それでおしまいだった

行くまでは本当に気が重くて、三月末に行く予定だったのを色々理由をつけてずるずる引き伸ばして、やっと今日行ったのに、おわりはなんともあっさりとしていて少し拍子抜けしてしまったくらいだ




わたしは、小さな頃から色々な習い事をしてきた

させられていた、と言っても間違いじゃないと思うけど、今考えるとわたしはわたしでそれらを意外に楽しんでいたので、あえてこの言葉は使わないでおく

ピアノ、英会話、書道、バドミントン、中学に入ってからは週に一度学習塾にも行った

全て最低でも3年は続けていたと思う






わたしにとって、1度始めたことをやめるのは悪だった

あきらめることは恥であり、どうしてもやってはいけないことだった

教室をやめる時は必ず、そもそもその教室の対象の年齢から外れた、とか、中学に入学して時間がなくなった、とか、わたしの意思に関係ない理由でやめていた

やめるとき、やめなければならないときはいつも、これはわたしがあきらめたんじゃない、仕方のないこと、わたしが脱落したんじゃない、と言い聞かせていた


でも、たしかにいつも心のどこかで安堵し、静かに喜んだ

あぁ、やっと開放される、わたしは免罪符を手に入れたんだ、と







わたしの世界で一番好きな青春小説家である額賀澪さんの小説、「タスキメシ」の一節にこの言葉がある


「あきらめる勇気があったんだ。続ける恐怖なんてきっと乗り越えられる。」


この言葉を身体に受け入れたとき、わたしはとても驚き、同時に涙が出た

あきらめることには勇気が必要なのだ、と、わたしは初めて知った

そして、あきらめる、ということが怖いのはわたしだけではないのだ、とも



あきらめるな、Never Give Up、諦めたらそこで試合終了、世間にとってあきらめることは非難されるべきことだ

あきらめることは弱者が行うことだ

そういうステレオタイプが染み込んでいる




その固定概念のせいで、わたしもあきらめることに対してマイナスなイメージを抱いていた

しかし、この言葉はそんなわたしを救ってくれた

あきらめることには勇気がいる

あきらめることは逃げなんかじゃない

あきらめることは強い者しかできないことだ


たしかに、あきらめないことはすごいことだ

懸命にがんばることは尊いことだ

でも、あきらめることも同じくらい気高く美しい選択だとわたしは思う






そして、今日、わたしは初めて、自分の意思で、わたしの過去の選択をあきらめることができた

完全に、というわけではない

今回も「受験で忙しくなるから」といううすっぺらい免罪符を握りしめている



それでも、わたしは今日、勇気を振り絞ってわたしのひとつの可能性をあきらめた

いや、可能性にも満たない小さな光をあきらめた

それはとても苦しかった

でも、わたしには、ちっぽけだけど勇気があった

それを知ることができてよかった、と思う






あきらめることができるきみは勇者だ

あきらめずにがんばるあなたも勇者だ

そして今日、わたしも勇者への切符のかけらを手に入れた



そんな気がする



呪い

わたしはわたしをものすごくブスだと思っている、顔面コンプだ、という話を以前したと思うのだけど、これもまあ間違ってはいないんだけどさらに的確な表現を見つけたので言い換えることにする



わたしは、じぶんはじぶんが思っているよりずっとブスだということを知っている



がいちばん近い表現だと思う







正直鏡を割りたいほどじぶんがブスだと思ったことはたぶんない(めちゃくちゃ病んでる時は思ったかもしれないけど、めちゃくちゃ病んでる時の記憶は防衛本能が仕事してある程度飛ぶのでわからない)



むしろ、ときたま、ほんと~にときたまなら、鏡の中のわたしをもしかしてかわいいんじゃないか、と思ったことさえある


そして、じぶんでカスタムしたフィルターを使って自撮りアプリで撮って、さらに別のアプリ2個使いで加工した自撮りなら、間違いなくこれはかわいい!と思えることだってある





でもそれが虚構だということを知っている

それがまぼろしだということを知っている


他人にこの加工した自撮りを見せても、わたしの目に映っているほどかわいく見えていないことを知っている




わたしの目はおかしいのだ

わたしの目には、じぶんがほんの少しだけかわいく見える呪いがかかっている


そして、その呪いをもってしても鏡の中のわたしは決して大手を振って言えるほどの美少女ではない




それはつまりわたしって救いようのない醜女ってことだ







そういうことで結論を下して、わたしはわたしがとんでもないブスだと思っている

ていうかそれが事実だ、わたしはとんでもないブスだ




でも、この呪いのせいでじぶん自身の目にはほんのちょっとだけわたしがかわいく見えてるので、うっかりわたしがとんでもないブスだということを忘れてしまうことがある


そしてあとで「あっ!そうだわたしとんでもないブスだった」と思い出して落ち込む


うっかりわたしがブスであることを忘れてしまっていた時に買ってしまったかわいい服とか、わたしがブスであることを忘れてしまっていたときにTwitterに載せてしまった調子に乗った自撮りとか、そういうものを目にして死にたくなる




そもそもなんでわたしがその呪いに気づけたか、というと中学生のときにいちばん仲の良かった友達がびっくりするくらいかわいかったからだ

彼女は本当にかわいかった

男子も女子も彼女のかわいさを認めていた



いつもわたしの隣にいる彼女をみんな褒めたたえた


「〇〇はかわいいね」「なんでそんなに目が大きいの」「〇〇が学年でいちばんかわいいだろ」


彼女に向けて浴びせられるそんな賞賛を隣でずっと聞いていた




それは少し誇らしい気分だった

「わたしの友達、かわいいでしょう」

そう思って聞いていた



彼女がかわいいのはわたしも知っていた

呪いがかかった目で見ても、彼女はわたしの何倍もかわいかった

少しの羨望はあれど、嫉妬なんてまったくしなかった、頭にすらなかった



でも、かわいい彼女の隣にいるわたしを、周りは可笑しく思ったらしかった


いつのまにやらわたしは彼女を褒める材料のひとつになっていた

彼女と、隣にいるわたしを比べて彼女が優れていることを示すことが、いちばん手っ取り早い方法だったからだ


「脚の太さが全然違う」「(わたしの名前)のことじゃね~から安心して笑」「あっ、(わたしの名前)がかわいくないって言ってるわけじゃないよ笑」



ほんのちょっと、すこしだけ、違和感を覚える、揶揄を含んだ言葉の羅列は、じりじりと、それでも着実に、わたしの心を蝕んでいった




自分がかわいく見える呪いのかかった目を持った幸せな少女は、だんだん、だんだん、自らの目に見えている、自らにとっての「事実」と、他人の目に見えている、彼らにとっての「事実」に、ギャップがあることに気づいた





彼女とわたしは趣味もバッチリ合った

元来少女趣味で、レースやフリルがすきだったわたしは、服装にも控えめながらそれらを取り入れていた

彼女の服にもそれらはよく登場した

同じようにふわりと膨らむスカートで、同じような白いトップスで、同じような雰囲気で、わたしと彼女が並ぶと一際彼女は目立った



彼女と並んで鏡をのぞくとき、わたしはいつも僅かに落胆した

呪いにかかった目で見ても、輝きの差は歴然だった





そしてそれを決定づけたのは、いっしょに卒業旅行でディズニーシーに行ったときだ

わたしと、彼女と、あとふたり、合計4人で行った

彼女とひとりの友人がトイレに行った

わたしともうひとりの友人は先にアトラクションに並ぶことにした



帰ってきた彼女は、かわいらしいシェリーメイのカチューシャをつけていた

それはわたしがずっとつけたくて、ディズニーシーに来る前から、むこうに着いたら絶対に買うと何度も言っていたものだった



彼女にとてもよく似合っていた

ほんとうにかわいかった



それを見てわたしは涙が出た

こんなにかわいい、同じものを身につけた子が隣にいたら、わたしは恥ずかしくて同じ耳なんてぜったいにつけられない

惨めで悲しくて涙が出た




こうしてわたしは中学3年間をかけて、わたしの目に呪いがかかっていることに気がついた





今は高校で彼女と別れ、朝に駅で会ったり、たまに休日に遊ぶことはあるものの、頻繁に会うこともなくなった


彼女と同じような趣味の服を着ると比べられるのが嫌で、中学3年間で無意識に培われた自分の趣味じゃない服を買う癖も治りつつある


それでも、わたしは忘れちゃいけない

調子に乗っちゃいけない

わたしの目には呪いがかかっている

わたしはわたしが思うよりずっと醜い


それを忘れちゃいけない




そうやって自分に言い聞かせながらも、わたしはまた、わたしがとんでもないブスだということをうっかり忘れてしまう

いっそ、開き直ってすきな服を着て、すきなように、自分がかわいく見える呪いに甘んじて、生きていければいいのになぁ

その域まで行けたらいいのになぁ